整骨院・鍼灸・マッサージでの保険の適応について

知恵袋で できるだけお困りの方のサポートをさせて頂いてることは
以前、少しお話したことがあるかと思います。

先日ですが また同じような事で戸惑いを覚えておられる方がおられ
僭越ながら私ごときの知恵の範囲でご回答させていただきました。

Yahoo!知恵袋

私達も学校で簡単に歴史をならったぐらいなので
複雑な経緯はわからないのですが
医療保険がどうして鍼灸やマッサージで気楽に使えなくて
整骨院では使えるのかは とても大きな謎と
複雑な社会的構造や経済問題が絡んでいる事でしょう。

簡単に知っている範囲で記載させて頂くと
実は、鍼灸やあんまなどの揉んだりする手技が日本に伝わってきたのは
飛鳥時代や奈良時代などのとてつもなく古い時代で
鍼灸のバイブルといわれている「黄帝内経」という書物は
それこそ中国ウン前年の歴史の中で培われ伝えられ
誰が書いたのかやどこで誰に編集されたのかすらわからないほどですが
本当に、人の体の変化については適切に記されており
もちろん、当時の生活や人間の体質、社会的背景などもあるのでしょうが
人の体の生理的な部分と病の根源に対する自然反応が
いかに変わらないかという事がよくわかります。
現在の鍼灸師は、これらの伝えられてきた多くの文献や書物をみて
記述にある事柄に通じる施術をすることにより
ある程度の成果を挙げることが可能となっています。

もちろん、西洋医学や薬学の起源もとても古く
民族的な感性や背景などがそれぞれの培う部分を分けていると
考えてもいいのではないかと私は思っています。

このあたりは、例えば宗教なども同じで
いろいろな宗教を深く(あるいは非常に単純に)捕らえてみると
最終的には同じことを言っていたり
実は、同じ神様が形や名前を変えて伝わっているケースが多々あります。

例えば ある国である宗教を知った人がいたとします。

その内容を人としてすばらしい考え方だと広める人がいる反面
政治的な一つの権力や教育、あるいは言葉は悪いですが洗脳として伝えることによって
正義や常識を変えて伝えたり、伝えられてしまっていたりする事もあります。
そして、国を愛する人に対して教えられた宗教を盲目的に信じるように仕向けたり、
その威を借りてある民族の精神的な包容力を奪って戦力などの
国力を挙げる事を目的としたりというケースも考えられるかと思います。

例えば、教育で1人の人が同じ事を教えたとしても
教えた側の人間性、学んだ環境、学んだ相手、教えた側の学び先の環境や伝え方、
理解度と発想能力、言葉の解釈、ボキャブラリーなどで
次に伝えるときの伝え方や理解のさせ方が違います。
そういう社会のつながりの中で
どんな手を使ってもお金が儲ける事が正義だと理解する人もいれば
いやいや、みんながそういう風になってしまう世の中だからこそ
自分はできるだけ人の役に立つことをして頑張らないとと思う人もいるでしょう。

このように、医学が伝えられた中でも派閥や戦争、社会背景があり
戦後、日本の社会はGHQという組織によって社会を大きく変えました。

その際に、GHQは海外の組織ですので
西洋医学のほうが当たり前だった事や 鍼灸やあん摩などの
感覚的、観察的経験則から培われた医学についての知識や理解度が高くなかった為
戦後、古来の医学を禁止し西洋医学を医術とするように定めたようです。

その時、たまたま 格闘や戦場での外傷で緊急修復する柔道整復技術などは
整形外科的な(物理的・構造学的)施術であったことから理解された背景があり
禁止されずに特別に扱われたようです。優先的な保険利用ができるのも
そのあたりの事がからんでいるのでしょうか・・・。

しかし、その後 もともと日本の医術として健康を培ってきた
鍼灸師やあんま師・指圧師などの大変な努力の甲斐あって
再度、療術としてこれまで仕事でしてきた人が活動できるようになり
「あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律」(昭和22年法律第217号)
通称「あはき法」というのが施行され専修学校ができ、
現在のように国家資格となりました。

しかし、悲しいことに あんまマッサージ指圧師は、なぜか
「健康を保つ為の療術を行う者」として高い地位に扱われる事が大変少なく、
慰安を行う労働者」として障害と共に差別されたりしてきた経緯もあります。
もちろん、「あんまさん」として親しまれた方もおられるようですが
「医師」や「はり師」とは、扱いが違っていたようです。
「はり師」は、体に鍼をうつので ある程度の認知度はありますが
「あんまマッサージ指圧師」が医師以外で正式に単独で直接お体全体に療術を行える
唯一の国家資格国家資格だということをご存じない方がおられるという
非常に残念な現状があります。
現在も、医師ですら「あんまマッサージ指圧師が国家資格である」事をご存じなく
無資格のセラピストを院内に雇い入れマッサージをさせている院
求人を見る限りあるようです。

この背景には、盲聾の方がこれまで理解を得る社会的なサポートが整わなかった事や
現在のように点字や手話、コンピューターなどのコミュニケーション手段がなく
障害をお持ちの方が社会に出る機会、職業選択ができなかった事、
社会の全ての人の差別や偏見に対しての意識向上、
法律などを深くご存知になられる機会が少なかったことや、
あんまマッサージ指圧師自身が、社会での立場について情報が入りにくかった等
様々なご事情や環境、行動範囲の制限やがあったのではないでしょうか。

訓練により感覚が鋭敏になる事で可能となる職業として認識するのではなく
職業内容についての不理解や差別が先行してしまった事、
「あはき法」による広告制限や施術所の構造などの法律(中が見えてはいけないとか)、
晴眼者が多かった柔道整復師などに比べ 表だってアピールできる機会も少なく
周知されて来なかった事が問題ではないかと私は考えています。

そもそも、外部から情報が入りくい状態の方を
スムーズに導けるだけの力のある教育者がどのぐらいいたのか、
教育法があったのかすら疑問です。

目をつむって体のいずれの部分が目の前にあるのかを探り、感じ、描き、
お体の状態の変化、危険部位、危険深度などを察知して鍼をうつことや
お体の触ってはいけない部分に触れない技術などは
晴眼者には到底もてません。

それだけでも、とてつもない努力と才能の証として喝采を得るべき事です。
現在、多く受け継がれている流派の創始者には
ご自身の不便や努力によって、新しい方法を積み上げられた方も
沢山おられると聞いています。

ただ、情報のやり取りが円滑にいかないことで価値観や表現が違ってしまっていたり
コミュニケーション方法が違うことなどで行き違いが生じてしまい
その部分での多くの摩擦が生まれてしまっている部分は大変もったいない事です。
健常、障害にかかわらず どのような立場の人に対しても大きな課題であることでしょう。

例えば盲目のピアニストも盲目のはり師・きゅう師・あん摩マッサージ指圧師も
同じように 自分にできない事をできる人がいると言う事に対して
大小問わず評価できるだけの認知度と理解度が広まればいいなと思います。

もちろん、それは晴眼のあんまマッサージ指圧師に対してもですし
そう思っていただけるように自分もできる努力をしようと思っています。
技術の差や人間性はどんな事でも同じようにあるので
国家資格を持っているから素晴らしいという世の中は難しいです。
資格持ちの評価を落とさない事だけで、今は精一杯ですが
今の時代だからこそ、こつこつとやらなければいけない事があると思っています。

さて、時代が変わり、争いや格闘がスポーツになり安全になった事、
整形外科的なレントゲンやCT、MRIなどの検査機器の向上などもあり
柔道整復業界は、外傷を扱い経験する事もほとんどなくなってきてしまったようです。

この為、一部の方がもちろん患者様の利便性や希望を受けての背景もあると思われますが
外傷後の「もみ療治」や肩こり、首凝り、全身の不調など
「あんまマッサージ指圧師しかできない」部分のマッサージに対して
医師しかできない診断をし「疾病名」を書いて提出してしまえる
保険の委任システムがあった事や、「もみ療治」が軽視された事などもあったのでしょうか
「医師以外ではあんまマッサージ指圧師」しかしてはいけない「もみ療治」を行い、
保険適応してしまう不正請求が多発、それを安定的な食い扶持としてしまった事や
格闘技などから進出した権力者と政治が切り離せなかった時代の流れなど
様々なつながりがあった社会的背景もささやかれているとかいないとか・・・。

現在でこそ、「あんまマッサージ指圧師」は晴眼者が卒業できる学校もいくつかありますが
国の「盲聾者の職業の安定を図る」というスタンスから
晴眼者が国家資格の取れる学校は少ないのが現状です。

法律の制定された古くからある特定の学校に限って許可するという姿勢が保たれており
各校、晴眼者の数を極端に増やさない為に 1年1校50名という枠があるようです。
この事が、無資格者を多くしている部分もあると言われていますが、
無資格者の多くは、「お金をかけず、時間をかけずに儲けられる」のが希望のようです。

数年前に 鍼灸免許の許可を野放図に行った為 新設校が乱立し、
しっかりとした東洋医学的な教育もなされないまま、国家資格だけを取ってしまった学生や
その後 数年で経営が立ち行かなくなり、中には途中で学生を放棄して消滅した学校もあります。
いわゆる、「資格ブーム」です。

資格商法の怖いのは、
・「教えた人が知識をどう使うかについては関係ありません。」
 (国の規定がない為、教えられている医学レベルはバラバラ)

・「教えた人がどうなろうと関係ありません。教えてほしいと希望したから教えただけだから。」
・「法を犯して使うかどうかは本人が決めたこと。知識として教えただけですから。」

・「教えた人間がどんな施術をしようが施術された人の事は関係ない。教えただけだから。」
・「責任を取るのは勝手にやった人間だ。教えただけだから責任はない。教えただけだから。」

というのが 資格商法「民間資格のマッサージ」だと思ってください。

「その人が自分で選んで好きなことをする自由」というのが憲法に定められていますから
国は、「やるのもうけるのも個人の自由で自己責任ですよ。」というのが現状です。

受ける方に知識があるとかないとか、国家資格をご存知ないとかは関係ありません。
「自分で無資格を選んで受けたんだから、何があっても選んだ人に責任がある」
と言う定義ですので、何かあっても自己責任です。
民間資格をお選びになる時は、これをよく念頭に置いて選ばれてください。

整体・カイロ・タイ式マッサージ・〇〇マッサージ・〇〇指圧、整骨院にしても
適当な言葉を勝手に作ってしている人達や、無資格で行っている人たちは
法律で「マッサージ」を表記する事が「あはき法」に定められている国家資格所持者にしかゆるされていないので、
「あんまマッサージ指圧師を持っていないから造語を作る。」
「あはき法に縛られていないから、料金や疾病名、効能を表記している。」
(厳密に言えば疾病名などは、医師法違反に該当します。)
あるいは
法律を知らない程度の知識だから言葉を曲解できる」

「持っていても医術・療術としてよりあはき法を無視してもアピールしたい。」
(お客がさんがきてくれなければ、お金はもらえないですからね。)
「法律の抜け道を考え自分の都合でいいように曲解しできる人間性とモラル」
でサービスや施術を行って 健康を扱っているという事を
受ける方ご自分でしっかりと考えてお体を任せるかを決めて欲しいと思います。

世間でよく言われるわかりやすい表現に、
「やぶな医師免許を持った医師と無免許のすばらしい医師のどちらを選ぶ?」
というのがありますよね?

確かに、誰でも健康になりたいですから非常に難しいところではありますが
例えどんなに才能を持っていたとしても、
「責任を伴うことに対しての苦労をお金や時間や労力の損得ではしょる」人に、

・責任感、良心、葛藤を乗り越える力、努力をする心、精進の大切さや
 最も大切な 弱者を敬い自らと同じ人として扱い、共に寄り添う心を
 発想、理解をする才能があるのか?

・一時ではなく先の健康まで考える能力があるのか?

などという風に考えてみてもよいかもしれません。

さて、長くなりましたので 次の記事にしましょうか・・・。

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