人は、硬いものがあると硬いもので対抗します。
これは、本能のようでして人間関係なんかでも同じ。
自分にたいして柔らかくあたらない人や、自分を攻撃する人、
攻撃するかも知れない人、危害を加える人などには
反射的に硬くなってしまいます。
物質的にも硬い物を柔らかくするために叩いたり殴ったりなど
相手の力を打ち消す力を使います。
それを超えると相手か自分が壊れます。
ところで、私は硬いものを柔らかくするのがどうやら得意らしいです。
硬いものを柔らかくするにはいくつもの方法があるのですが
その一つとして最も分かりやすい物が「力で対抗して力で負かす」です。
リラクゼーション等で良くやっていますよね。必死で指がつぶれるほど揉んだり。
足で無理やり踏んだり。これ、体にいいですか?
んでね、いじめでもそうだけど 力で無理やりねじ伏せられるとどうなります?
後からふつふつと暗い力が固まってきたり へこんで戻れなくなったりしませんか?
これ、体にも心にもある事で これも自然の摂理なんですよね。
体のつくりを考えてみましょうか。
まず、皮膚がありますよね。
本当にうすーいうすーいフィルムのようなもの。それが皮膚です。
うすーいのにとても良く伸び縮みして体をしっかりと守ってくれるとってもえらい組織です。
その下に、真皮と呼ばれる部分があって皮下組織となり、筋膜、筋肉内部となるわけです。
真皮のあたりには、細ーい細ーい血管や神経があったり
そこから下の部分には隙間に体液などがあったり筋肉や骨の隙間等とおりやすいところに
太めの血管や神経が走っていたりして そこからまわりの組織に血管が入って行ったり
体液で循環されたりしているわけです。
椎間板なんかは血管がないそうで だからこそ1度壊れてしまうと
なかなか栄養されにくく回復がしにくいようです。
まあ、もちろん術者によるので なんとも言えませんが、
力ずくで硬い体を柔らかくしようとするのはどんな人でも考えられる事ですが
体の中にはいろんな組織があって、いろんな物質もあって
その中にはいろんな性質を持った細胞なんかがいるわけです。
くっつく力の強い子もいれば、弱い子もいる。
パンパンで割れそうな子も居れば水が少なくてしわしわの子もいる。
そういうことを一切考えずに、ただ単に硬いから力をかけて相手を負かす。
これって、暴力じゃないですか?
子供がいたとします。何か問題がありました。
訳も聞かずに悪い事をしたからとげんこつで殴りました。
これ、暴力じゃないですか?
殴ったほうの都合じゃないですか?
訳、聞かなくていいですか?
いやいや、正義感をもってやった事の結果が良くない事だってあるし。
じゃあ、やり方がまずかったならそれを教えてあげるべきで
全否定じゃなくてほめるところも伸ばせるところもあるじゃない?
私は、そう考えます。
実は、硬いものというのは(物だけではなく心などでも)エネルギーが集まったものです。
ぎゅっと凝縮されたもの。凝縮されるには、意味があります。
凝縮されるべきもの。凝縮されなければならなかったもの。凝縮しなければ仕方がなかったもの。
凝縮する気はないのに散らばる事ができないもの。他にもいろいろ理由も事情もあるかと思います。
その事情や理由を理解することなく 力づくで物事を解決する。
いやいや。
そんな事をしなくても 解決できる方法もやり方も沢山あるはずです。
ただ、理由や過程は一つではないので 一つ一つ理解して一つ一つ対応しなければいけない。
そして、対応する側の経験やバリエーション、読み解く力、組み立てる力など
様々な力が必要となるんですね。
だから、少しだけ段階と時間が必要になります。
でもね、施術に関してだけ言うと 人体ってすごいんです。
力を入れたいと思えば力が凝縮される。抜きたいと思えば散らばってくれる。
そんな体だからこそ、瞬間の信号で変わることもあるんです。
そして、それには力は必要ないこともあるわけです。
その必要な信号の与え方を どうやら私は一部知っているようです。
タイプが沢山あるので ある一部のタイプの声はまだまだ聞けていないけれど
大きく良くあるタイプの声は、どうやら私は聞けるらしい。
ですので、動かない場所とか、動きにくい場所なんかの対応は得意です。
先日も、動かなくなった部分へのアプローチをしたのですが 動いていましたね。
長くうごかなくて 病院とか行って動かないといわれたそうなのですが大丈夫でしたね。
まあ、ちょっと短時間で会話の中でそういう話があって どれどれという感じでしたので
どこまで動かせてどこまでやれば予後によいのか悪いのかの判定はできていませんが
動きたくないかい?動いてみるかい?どうするかね?と体にきいてみながら
少しだけ、触ってあげるんです。
そしたらね。動くようになってくれるんです。
そんでね、その後 ご自分で動かしてもらうと動くんですね。
これ、実は教えてくださった方がおられるんです。
学生時代に行った解剖実習のご遺体です。お名前も存じ上げない方。
ご遺体になられる方は、亡くなる前に
「医学の発展の為に体を使ってください」とご献体下さる方がたです。
そのせいか、実習の現場にいってもとても空気が澄んでいます。
みなさん、いろいろな亡くなり方をされている事でしょうにね。
まあ、それは別の話として 必要に応じてお体を動かす時があるのですが
亡くなった方ですし、部屋も空調がきいていて寒くお体もつめたいことや
ご遺体の管理の加減から薬品処理もされていたりして組織が硬いのです。
たぶん、力づくでやれば簡単にボッキリいってしまうでしょうね。
で、必要があって 手の部分をおそるおそる動かしたのですが動かないんです。
でも、力づくでやるとおそらく壊れてしまう。どうしよう・・・。
そんなときふと思い出した事があって
優しい気持ちで触ってあげたらきちんと話を聞いてくれました。
「ああ、どんなものでもきちんと気持ちを伝えれば通じるのだな」と思いました。
もちろん、お祈りするわけではありません。意識の集中する場所を変えるんです。
「自分で自分の体をコントロールして 相手に最適な信号を与える」事が大切なのだと悟ったので
その後の施術にも生かすようになりました。
動物と一緒にいて 動物と会話とかじゃなくて話するときもそんな感じかな。
通じるときは言葉じゃないもんなー。たまにビッタリ通じる事があったりしますけど。
話が脱線しましたが ちょっとした事なのですが人間的な本能としての反応を
超えなければいけないところもあるので技術的にも体得するまでは
簡単ではないのですが 私はそれを再現することも
そして再現できるように教える事もできるので
後輩などにはできるだけ知ってもらっています。
もちろん、鍼でも意図的にできますよ(^^)
ただ、鍼でやるときは必要以上のエネルギーが発生してしまって
力を与えすぎたりなど別の問題が出る事があるので
なかなかそのあたりも難しいなと思うところです。
ですので、お体の動きの悪い部分がある方。
体が硬くて仕方がない方。
後遺症や何かの理由や問題で緩めたい方。動かしたい方。
体だけではなく 心も緩めたい方等の対応にも
どうやら 少しだけ貢献できる人間みたいです。
お年寄りなんかでも元気にあるけるかなと思ったり。
訪問介護のマッサージやリハビリなんかでうまく行かない方も
うちは保険は使いませんが 状態によっては割引もしていますので
ご相談頂ければと思っています。
街中を見ていると 結構、動きにくそうな人がおられるので
そういう方には施術させてもらえれば楽になってもらえるかもなぁと
通りすがりに思う事が沢山あります。
でも、街中で勧誘するわけにも行かないし
ご本人がその状態に満足されていればそれはしょうがないのですが
でも、もしあきらめているのであればお声をかけていただきたい。
皆さんが、どんな状態であっても 少しでも自由にうまく動ける体でいて欲しい。
それが私の望みです。