健康ってなんだろう

先日、恩師がなくなりまして・・・。
参列できないので 弔電を遅らせて頂きました。
昨年もお一人なくなられましたが
短い授業内での出会いでしたので
いずれの方も深くご教授頂く事ができなかったのが
残念です。

人は、生まれてから死ぬまで
自分の最低限の構造を維持する為に
体と意思が共に活動します。
その過程では やりたい事、
やらなければならない事、やらざるを得ない事
構造、環境変化など多くの負担があり
その変化に合わせてある程度柔軟さを保ちながら
意思に従って体は活動します。

活動する中で一部の負担が大きくなると
その部分を補助する形で動く場所がある事で
人体の社会は動いています。
人の作る社会と同じです。
逆に言うと 体の中に社会があるからこそ
人の社会も同じような流れがあると考えても
いいのかもしれないと私は思っているのですが。

さて、この流れがスムーズでいずれかが破綻しない事を
「健康である」と言います。

「東洋医学は未病をなおす」と良く言います。
先ほどお話したように一つの大きな社会の流れを
破綻しないようにサポートするのが
東洋医学の大きな役割の一つになります。

まず、破綻した部分がある場合には、
破綻した部分をサポートしている箇所への
サポートから始まります。
破綻した箇所を支える箇所を
東洋医学で支える事により
負担は分散され、余力が生まれます。
その余力を、破綻した部分へまわすと
破綻した部分の再生が補助されます。
そして、破綻していない場合は
各所への偏りを東洋医学で分散、循環させる事により
負担を減らし破綻しないようにしながら
修正しなければならない箇所へ余力をまわせるよう
余力を作るので、余力がたまってきたら
必要箇所への采配にまわります。
これには多くの力争いやルートなどがあり
方法も様々な中で 流れの時々の変化にも
対応しながら余力を作る事が必要となる為
細かい調整や時間が必要になります。

西洋医学の場合、破綻した箇所の修正を優先し
その部分を修繕、置き換え、切除した後
破綻した部分をサポートしていた箇所に
サポートがない為 偏りが生まれます。
社会の流れを生かすのではなく
社会の形を変えてしまう場合があるのです。
破綻しかけた箇所の場合、
その箇所が破綻しない為のサポートはしますが
サポートしていた箇所へのアフターケアは
ありません。

破綻のスピードが速い場合など
その部分に直接手を加えなければ
社会全体に支障が出る場合には
西洋医学は必要です。
本来は その破綻が起こらないように
サポートするべきなのですが
破綻した箇所がはっきりしない事には
対処のしようがないのが西洋医学の
弱みの一つとなっています。
栄養学的になどのケアはできますが
いずれも部分的になりますね。

だからこそ、東洋医学で
普段からの生活変化を感知し
何らかの変化が起こる前に
その原因を把握しサポートする事が
大切となります。

東洋医学は「自然の医学」です。
その人の持つ 本来の流れを生かしつつ
良い形に変化を促していく切っ掛けや
不調があれば体の声を聞く事ができます。

あなたにとって健康とは何ですか?
不健康とは何ですか?
1度考えてみてください。
「自分にとっての健康」の位置付けは
一人ひとり違うことでしょう。
「病気になっていないから健康」ではなく
「健康だから毎日の維持ができている」と
考えてみるのもいいかもしれません。
余力のある維持もない維持も 維持ですから
この部分は大変重要になりますね。
さて、あなたには どこにどの程度の余力がありますか?
どれだけの事に対応できる余力がありますか?
余力を補う行動をきちんとしていますか?

睡眠、休息、食生活などいろいろとありますが
その余力のある循環社会を保つコツの一つに
鍼灸やあんま、マッサージ、指圧という方法が
あるのだと 考えて頂ければと思います。
睡眠、休息、食生活を余力あるようにすることも
サポートできるのも東洋医学です。
せっかく、東洋の国に生まれたのですから
東洋医学を積極的に取り入れ、
研究を始めている諸外国に遅れを取らないように
皆さんも活用されてみてはいかがでしょうか?